聖徳太子の地球儀 オーパーツ 

 

聖徳太子の地球儀

聖徳太子が遺したとされる、球形の石。この遺物をよく見ると地球儀のように見えることが分かった。

 

地球儀ならばそれほど不思議ではないが、そこには当時、誰も知り得ない南極大陸らしきものが描かれていた。


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聖徳太子の地球儀

 

オーパーツ

 

 

兵庫県にある斑鳩寺には、「地中石」」というソフトボールくらいの丸い石が伝わっている。

 

その人知れず伝わっていた寺宝がオーパーツとして注目されるようになったのは1990年ごろである。

 

「地中石」は陸地の部分を凸面、海の部分を凹面で表した地球儀であるとされている。

 

そこには日本列島やユーラシア大陸だけではなく、北米大陸、南米大陸、オーストラリア、ニュージーランド、南極大陸まできちんと記されているのだ。

 

さらに太平洋の真ん中には現在の世界地図にはない陸地まで記されている。

 

この地球儀の由来は斑鳩寺にも伝わっていない。しかし寺そのものの由来から見て、聖徳太子ゆかりの品という可能性は高い。

 

この地球儀には聖徳太子の時代にはまだ知られていなかったはずの大陸が記されているが、それはこの地球儀が全地球的規模で展開した超古代文明の知識に基づいて作られたか、地球儀そのものが超古代文明の遺産であるのではないか。

 

太平洋上の陸地は、この地球儀が作られたころに存在した幻の大陸・ムー大陸だとも言われている。はたして、この「地中石」の正体は一体何なのか?

 


 

 

真相は・・・・・

 

オーパーツ

 

調査の結果、「地中石」は聖徳太子時代のものではないことがわかった。

 

「地中石」の化学分析の結果、それが実際には石製ではなく、炭酸カルシウムと海藻を混ぜて作られた漆喰であることが判明した。

 

漆喰に海藻を混ぜて強化する方法は戦国時代以降の日本特有の技術である。

 

また、「地中石」の表面には地名の書き込みがなされていたが、それは超古代文明の知識によるものではなく、大航海時代以降の西欧から近世日本にもたらされた、いわゆる「新知識」に基づくものであった。

 

書き込まれている地名は、「地中石」が作られた当時から既に存在していたのである。

 

「地中石」には南極大陸とされている部分が存在するが、大航海時代のヨーロッパには、南極大陸の位置に架空の大陸を描く習慣があった。

 

その習慣は、大航海時代の世界地図において、南極大陸の位置に様々な形の大陸が描かれていることから明らかになっている。

 

「地中石」の南極大陸も、そのような習慣を持ったヨーロッパの人々が日本人に知識を授けた結果、描かれたのである。

 


 

「地中石」はいつごろ作られた?

 

オーパーツ

 

「地中石」に描かれた地図から、これはおそらく江戸時代中期の西欧の知識に明るい人物が作り、斑鳩寺に奉納したと考えられている。

 

それが何者なのかは寺の記録にも残っておらず、現在は判明していない。

 

また斑鳩寺は1541年、戦乱に巻き込まれていったん全焼しており、現在の寺院はそれ以降に建てられたものである。

 

寺宝には鎌倉時代にまでさかのぼるような古いものもあるが、それらは再建後にほかの寺院から納められたものである。

 

つまりこの寺ではもともと聖徳太子時代からの遺物は伝わりようがないこともわかっている。

 

超古代文明の遺産であるとされた「聖徳太子の地球儀」は調査の結果、オーパーツなどではなく単なる重要な文化財であることが判明した。

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