マヤ文明 解明されていない世界の謎と不思議

謎・不思議

 

古代文明には多くの謎が残されている。

 

エジプト文明の叡智の結晶ともいえるピラミッドは、いまだに半分も解明されていないと言われている。また、最古の文明であるメソポタミア文明にも、まだまだ謎が残されている。

 

そのなかでも、マヤ文明は謎と不思議に満ちている。高度な暦を築き上げていたと言われるマヤ文明は、様々な出来事を石碑に記し、その年代も一緒に記していた。

 

しかし、909年を最後にその石碑は突如姿を消し、マヤ文明は滅亡した。その滅亡の原因はいまだに謎のままである。


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人類最初の文明が誕生したのは、今から5500年前のことである。西アジアを流れるティグリス・ユーフラテス川流域で栄えたメソポタミア文明がその最初と言われている。

 

さらに大河川流域に、エジプト文明、インダス文明、黄河文明が次々と誕生した。その後文明の波は急速に広まり、世界各地でさまざまな文明が花開いた。

 

それらの文明は、それぞれの土地において独自の発展を遂げた。そして盛衰を繰り返しながら、何百年・何千年とつづいた。しかし、滅亡の運命から逃れることができなかった文明もある。

 

エジプト文明は、気候やナイル川の推移などの自然条件が変わったために滅んでしまった。アンデス山中に一大王国を築いたインカ帝国は、スペイン人という異民族の侵入によって滅ぼされてしまった。

 

現在のメキシコ南部を中心に栄えたマヤ文明もその運命から逃れることはできなかった。マヤ文明は909年を境に、突然その姿を消すことになる。

 


 

 

マヤ文明とは

 

謎・不思議

 

マヤ文明は、ユカタン半島の付け根の熱帯雨林とその周辺で栄えた。高い神殿ピラミッドが建ち並ぶ大センターが、周囲の農村をしたがえて王国を作り上げた。

 

このような都市国家にも似た王国は、各地で成立した。マヤ文明の優れた業績は、文字と暦の体系を完成させたことである。

 

マヤ文明は、20進法を基にして、幾種もの暦が作り上げた。

 

20の文字と13の数字からなる260日周期の暦、20日ごとの18ヶ月に残りの5日を加えた365日周期の暦、西暦紀元前3114年8月13日にあたる日を紀元と定めて、日数の経過を数える暦などである。

 

マヤ地域では、1万年以上前から人が住み始め、紀元前300年から100年ごろには、すでに国家形成が始まっていた。

 

マヤ文明は、このような動きを集大成して出来上がった社会と文化の総合的システムである。

 

これを象徴的に示したのが、統合の中心である王者をあらわした石碑だった。つまり、石碑が建て続けられた間だけ、マヤ文明は存続していた。

 

マヤ文明は大まかに分けると、前期後期に分けられる。最盛期には20万人ほどの人口を持つ都市も形成された。だが後期のころから人口は減り始め、町はやがて放棄された。

 

そして、909年を示す遺跡を最後に、石碑は姿を消し、マヤ文明は滅亡した。


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マヤ文明の遺跡

 

謎・不思議

 マヤ文明の都市遺跡ウシュマルにある「魔法使いのピラミッド」

 

高さ35メートルの楕円形の建物で、中にそれぞれ別の磁器に作られた5つのピラミッドが内蔵されている。

 

魔法使いが、一晩で建てたという伝説からこの名がついている。マヤ文明の遺跡の多くが、現在では熱帯雨林の中にうずれてしまっている。

 

 

謎・不思議

マヤ文明の高度な天文知識を示す遺跡「チチェン・イッツァ」

 

高さ24メートルのピラミッドで、マヤの神・ケツァルコアトル(翼を持つヘビ)を祀る神殿であったとも言われている。

 

この神殿には2つの特徴がある。1つ目はこの神殿は階段が4つあるのだが、それぞれが91段ずつで364段、それに頂上の神殿1つを足して合計365段となる。

 

そして、階層は9段あるのだが、階層9段は階段で分断されているので合計18段となる。マヤの暦では1年は18か月と365日なので、それを象徴している。

 

2つ目の特徴は、春分の日と秋分の日に太陽が沈む時、階段の影と太陽の位置を利用することで、ヘビの姿が現れることである。

 

 

謎・不思議

日向と日陰を利用し、ヘビの姿が浮かび上がる。

 

これらの遺跡からも分かるように、マヤ文明は高度な技術力をもっていた。特に天文学に関しては、暦を完成させるなど途方もない知識を持っていた。

 

これほどの文明がなぜ滅んでしまったのだろうか。

 


 

 

マヤ文明の滅亡

 

マヤ文明の滅亡について、これまでさまざまな説が唱えられてきた。

 

人口の増大による耕作の拡大が森林を破壊して地力が衰えたため、干ばつや地震などの突発的災害が起きたためなどの熱帯の環境問題を滅亡の原因とする説がある。

 

また、貴族階級が肥大化して農民の反乱を招いたため、異民族が侵入してきたなど、社会的要因により滅亡したとの説もある。

 

実際、後期になると王族の生活が派手になり、顕著な階級の差が現れた証拠がある。そのようなことから貧富の差が生まれ、やがて内乱が勃発したのだろうか。

 

また、彫刻や浮き彫りには戦闘が頻繁に描かれるようにもなった。かつての戦闘は、犠牲の捕虜と貢納を画するためで国家間には共存関係が見られた。

 

しかし、8世紀後半にはいるとそれらは征服戦争へと変わっていった。戦争により国力が衰え、徐々にマヤ文明は衰退し、滅亡したのだろうか。

 

異民族進入の痕跡も残っている。9世紀になると、各遺跡にオレンジ色の新しい土器がもたらされ、マヤ人らしからぬ風貌の人物が記念碑に姿を現すようになったのである。

 

インカ帝国と同様に、異民族の侵略によってマヤ文明も滅んでしまったのだろうか。

 

マヤ文明の滅亡について、様々な説を紹介ししたが、いずれの説もマヤ文明滅亡の真実を説明できるものではない。

 

マヤ地域の環境問題によってマヤ文明が滅亡したという説は、いずれも証拠に乏しく確証を得ることはできていない。

 

内乱や異民族の侵入など、戦争によってマヤ文明が滅んだというのも、争いの跡などが見つかっていないので、いまだに推測にすぎない。

 

マヤ文明のほどの高度な文明が滅ぶのには、必ず何かしらの理由があるはずである。これほどの文明がと突然滅びたことは、歴史上稀有な例である。

 

マヤ文明の遺跡の多くは熱帯雨林の中に埋もれてしまっており、まだまだ多くの遺跡が残されていると言われている。

 

いつか、マヤ文明滅亡の原因を突き止めることができるような遺跡は見つかるのだろうか。

 

世界には、科学では解明できないことがたくさんあるのかもしれません・・・・・

解明されていない世界の謎・不思議まとめ


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